(本日の写真はイメージ)
英国滞在中、
4年振りに義理のおば(叔母)の住む家を訪ねました。
亡くなった義母の家からは、車で片道約2時間のドライブ。
観光客が集うリゾート地、サマセットにある、
マインヘッドという海辺の町で、
今年86歳になった叔母は、今もひとり暮らしをしています。
ちなみに前回、
叔母を訪問した際のブログ記事はこちら
家族のあり方(2012年 9月3日)
夫 Banana の父の妹である彼女は、
かつてはキャリアウーマンで、
定年を迎えるまでロンドンの中心地で働いていました。
子供を持たなかった叔母夫婦は、共にリタイアした後、
二人でこの英国の避暑地であるマインヘッドに移り住んだのだそうです。
その後、彼女の夫が他界した後はもう数十年、
同じ場所で一人暮らしを続けています。
亡くなった義母とこの叔母は、
同じ年齢なのですが、とても対照的な女性です。
同じ一人暮らしと言えど、
10年程前に一戸建ての家を引き払った義母は、
★リタイアーズアパートメントを購入し、
そこで一人暮らしをしていました。
(★ 高齢者専用の分譲マンションで、それぞれの住居はすべて独立。
敷地内に共有の娯楽室やサロンもあり、
気がむけば他の老人達と時間を共有できるし、
自分の部屋にいれば一般のマンションと同じ。
昼間はスタッフが常駐しており、
夜の緊急時にはパニックボタンを押せば、
救急センターへ繋がるシステムが完備)
家族(実の娘とその家族)も近くに住んでいて、
離れて暮らしている Banana も年に数回は定期的に帰省していたし、
経済的にも大きな不安はなく、
端から見ると、とても恵まれた老後を送っていた義母です。
しかし彼女は、いつも心の中に心配事を抱えており、
物事を悲観的に考えてしまう人でした。
実は叔母を4年間も訪ねる事が難しかった理由は、
息子夫婦(Bananaと私)が叔母を訪問する事について、
その事を義母があまりよく思わず、
訪れようとする度に機嫌が悪くなってしまうという
問題が生じていました。
義理の妹は、年に1〜2度、訪問しているようです。
義母が元気な頃は一緒に訪ねていたので問題はなかったのですが、
体調を崩してからは、
自分の息子には自分だけを見ていて欲しい、
"自分だけを構って欲しい"
という気持ちが強くなっていた義母の、
いゆるジェラシーに近いもののように感じました。
もちろんその間も、
叔母とは電話でのコンタクトは取っていました。
義母と反対の性格を持つ叔母は、とても楽天的で、
「いつだってなんとかなるさ、人生楽しまなきゃ・・。」
と考える、とても明るい人なのですが、
そのポジティブな性格が、
現在では少し災いしてしまったようにも感じてしまう生活環境です。
叔母の住む町はリゾート地なので、
夏になると多くの観光客や避暑客が大勢駆けつけるのですが、
郊外にあるため、車を運転できないと、
どこにも出かける事ができません。
最寄りの空港はヒースロー空港になるのだそうですが、
義母の家からヒースローまでも、車で1時間半はかかりますから、
マインヘッドから空港までの距離は、
車で3時間半近くかかる事になります。
マインヘッドの町には電車 (列車) の駅が無く、
観光客達は、マイカーや観光バスで足を運びます。
そんな叔母も、
5年程前までは車の運転を続けていたのですが、
持病が悪化したのを機に運転をストップ。
住宅地の周りにはバスも走っていないため、
現在は、スーパーに出かけるにも、
タクシーを利用しなければならないのだそうです。
日本でも過疎化が進む町では、各地で同じような例を
よくニュースで目にしますが、
英国でも高齢者にとっては、とても深刻な状況です。
義母の場合、
心配性だった義母は、70歳を少し過ぎた頃、
まだ体の自由と判断力が優れている頃に、
当時住んでいた場所からほど近い場所に新築された、
リタイアーズアパートメント(フラット=マンション)を購入し、
引っ越しました。
以前住んでいた場所は車でしかアプローチできない場所でしたが、
引っ越した先は、
フラットの目の前にバス停がありました。
5分程歩けば、町のメインのショッピングストリートと
ショッピングモールがあり、
スーパーもホテルも、パブも近くにありました。
人の幸せの度合いは本人にしか計れませんが
結果的に義母の選択は、人生のタイミングとしても、
とても正しい決断だったのだと思います。
叔母は夫の思い出が詰まった家を手放したくはなかったのだろうし、
リタイアしたばかりの頃から親しい付き合いを続けている友人たちと
離れて新天地へと引っ越すのは寂しかったのだと思います。
しかし、その友人たちも一人、また一人と亡くなり、
仲のよい親しい友人も、体調の変化などで、
以前のようにはつき合えなくなってしまい、
今では週に1度、気の合う友人たちとパブでランチを楽しみ、
それ以外の週に1度、
タクシーを利用して買い物に出かけるのが習慣なのだそうです。
週に2度はヘルパーさんが訪問してくれるのだそうで、
全く人付き合いが無くなった訳ではないのですが、
とても社交的だった叔母からすると、
寂しいと感じる時間を過ごす事もあるようです。
そんな叔母ですが、
甥であるBananaと、私の来訪をとても楽しみにして、
とても喜んでくれました。
私達が渡したちょっと早めのクリスマスプレゼントは、
クリスマスの日の朝に、楽しみに開けるのだそうです!
義母の住む町に移動する前に、ロンドンで数泊した事を伝えると、
「今頃、オックスフォードストリートの
クリスマスライトは綺麗なんでしょうね〜
町を歩いてみた?
ロンドンのイルミネーションは楽しめた?」
と、矢継ぎ早の質問。
前回の記事では義母の思い出についてふれましたが、
ロンドンは叔母にとって、思い出の深い場所であるようです。
ロンドンの中心地、
パークレーンにあるオフィスで仕事をしていた彼女は、
お昼になるとセルフリッジズで同僚達とランチをして、
クリスマスの前にはロンドンの町の通りを歩くのが
とても楽しみだった・・。
自分達がつい数日前に歩いていた通りを、
かつては叔母も歩き、同じデパートに通っていたのです。
活き活きとした表情で語る叔母の顔を見ていると、
若き日のキャリアウーマンだった叔母が、
颯爽とした姿でロンドンの町を歩いている姿が
目に浮かんできて、
義母の若き日の姿の写真に一緒に写っていた叔母の姿と重なり、
知らなかった昔の叔母の思い出にも触れる事ができて、
私も嬉しくなりました。
なんとなくなのですが、
これからは歳を重ねたおじいちゃんやおばあちゃんを見ると、
この人は若い時、どんな姿で、
どんな人生を過ごしてきたのだろう?
と、興味を抱いてしまいそうです。
年を重ね、老いる事は、悲しい事なのだろうか?
と、最近よく考えます。
元気だった祖父母が老いて、亡くなってゆく姿を目の当たりにし、
その後は自分の両親を看取り、
義母を亡くし、
年老いた叔母の様子を見て、感じる事です。
老後の生活は自分達にも、
いつかそう遠くは無い日にやってくる現実・・。
年齢を重ねた老人にも、若く希望とエネルギーに満ちあふれ、
輝いていたいた日々は誰にもあった・・。
そのままずっと輝き続ける事ができる老人は、
どのくらいいるのだろう?
自分はどこで、どんな最期を迎えるのか?
考えだすと、眠れなくなってしまいます。
私の性格は、
叔母よりもむしろ、義母に近いのかもしれません。
実の息子・娘ではない、
叔母にとって、親戚という間柄の私達には、
彼女に直接してあげられる事は限られてはいるのですが、
また次の機会にも、元気で再会できますように・・と、
ブログランキングに参加しています。
「スイスの街角からを」応援して下さっている読者のみなさま、
ブログ継続の張り合いになります。大変お手数ですが、"1日1回"
応援の クリック を、どうぞよろしくお願い致します。
(いずれも別窓で開きます)
携帯電話、スマートフォンからご覧下さっている方は、
こちら ↓ をクリックして応援してくださいますと嬉しいです。
人気ブログランキングへ
にほんブログ村
義母が元気な頃は一緒に訪ねていたので問題はなかったのですが、
体調を崩してからは、
自分の息子には自分だけを見ていて欲しい、
"自分だけを構って欲しい"
という気持ちが強くなっていた義母の、
いゆるジェラシーに近いもののように感じました。
もちろんその間も、
叔母とは電話でのコンタクトは取っていました。
義母と反対の性格を持つ叔母は、とても楽天的で、
「いつだってなんとかなるさ、人生楽しまなきゃ・・。」
と考える、とても明るい人なのですが、
そのポジティブな性格が、
現在では少し災いしてしまったようにも感じてしまう生活環境です。
叔母の住む町はリゾート地なので、
夏になると多くの観光客や避暑客が大勢駆けつけるのですが、
郊外にあるため、車を運転できないと、
どこにも出かける事ができません。
最寄りの空港はヒースロー空港になるのだそうですが、
義母の家からヒースローまでも、車で1時間半はかかりますから、
マインヘッドから空港までの距離は、
車で3時間半近くかかる事になります。
マインヘッドの町には電車 (列車) の駅が無く、
観光客達は、マイカーや観光バスで足を運びます。
そんな叔母も、
5年程前までは車の運転を続けていたのですが、
持病が悪化したのを機に運転をストップ。
住宅地の周りにはバスも走っていないため、
現在は、スーパーに出かけるにも、
タクシーを利用しなければならないのだそうです。
日本でも過疎化が進む町では、各地で同じような例を
よくニュースで目にしますが、
英国でも高齢者にとっては、とても深刻な状況です。
義母の場合、
心配性だった義母は、70歳を少し過ぎた頃、
まだ体の自由と判断力が優れている頃に、
当時住んでいた場所からほど近い場所に新築された、
リタイアーズアパートメント(フラット=マンション)を購入し、
引っ越しました。
以前住んでいた場所は車でしかアプローチできない場所でしたが、
引っ越した先は、
フラットの目の前にバス停がありました。
5分程歩けば、町のメインのショッピングストリートと
ショッピングモールがあり、
スーパーもホテルも、パブも近くにありました。
人の幸せの度合いは本人にしか計れませんが
結果的に義母の選択は、人生のタイミングとしても、
とても正しい決断だったのだと思います。
叔母は夫の思い出が詰まった家を手放したくはなかったのだろうし、
リタイアしたばかりの頃から親しい付き合いを続けている友人たちと
離れて新天地へと引っ越すのは寂しかったのだと思います。
しかし、その友人たちも一人、また一人と亡くなり、
仲のよい親しい友人も、体調の変化などで、
以前のようにはつき合えなくなってしまい、
今では週に1度、気の合う友人たちとパブでランチを楽しみ、
それ以外の週に1度、
タクシーを利用して買い物に出かけるのが習慣なのだそうです。
週に2度はヘルパーさんが訪問してくれるのだそうで、
全く人付き合いが無くなった訳ではないのですが、
とても社交的だった叔母からすると、
寂しいと感じる時間を過ごす事もあるようです。
そんな叔母ですが、
甥であるBananaと、私の来訪をとても楽しみにして、
とても喜んでくれました。
私達が渡したちょっと早めのクリスマスプレゼントは、
クリスマスの日の朝に、楽しみに開けるのだそうです!
義母の住む町に移動する前に、ロンドンで数泊した事を伝えると、
「今頃、オックスフォードストリートの
クリスマスライトは綺麗なんでしょうね〜
町を歩いてみた?
ロンドンのイルミネーションは楽しめた?」
と、矢継ぎ早の質問。
前回の記事では義母の思い出についてふれましたが、
ロンドンは叔母にとって、思い出の深い場所であるようです。
ロンドンの中心地、
パークレーンにあるオフィスで仕事をしていた彼女は、
お昼になるとセルフリッジズで同僚達とランチをして、
クリスマスの前にはロンドンの町の通りを歩くのが
とても楽しみだった・・。
自分達がつい数日前に歩いていた通りを、
かつては叔母も歩き、同じデパートに通っていたのです。
活き活きとした表情で語る叔母の顔を見ていると、
若き日のキャリアウーマンだった叔母が、
颯爽とした姿でロンドンの町を歩いている姿が
目に浮かんできて、
義母の若き日の姿の写真に一緒に写っていた叔母の姿と重なり、
知らなかった昔の叔母の思い出にも触れる事ができて、
私も嬉しくなりました。
なんとなくなのですが、
これからは歳を重ねたおじいちゃんやおばあちゃんを見ると、
この人は若い時、どんな姿で、
どんな人生を過ごしてきたのだろう?
と、興味を抱いてしまいそうです。
年を重ね、老いる事は、悲しい事なのだろうか?
と、最近よく考えます。
元気だった祖父母が老いて、亡くなってゆく姿を目の当たりにし、
その後は自分の両親を看取り、
義母を亡くし、
年老いた叔母の様子を見て、感じる事です。
老後の生活は自分達にも、
いつかそう遠くは無い日にやってくる現実・・。
年齢を重ねた老人にも、若く希望とエネルギーに満ちあふれ、
輝いていたいた日々は誰にもあった・・。
そのままずっと輝き続ける事ができる老人は、
どのくらいいるのだろう?
自分はどこで、どんな最期を迎えるのか?
考えだすと、眠れなくなってしまいます。
私の性格は、
叔母よりもむしろ、義母に近いのかもしれません。
実の息子・娘ではない、
叔母にとって、親戚という間柄の私達には、
彼女に直接してあげられる事は限られてはいるのですが、
また次の機会にも、元気で再会できますように・・と、
願わずにはいられません。
ブログランキングに参加しています。
「スイスの街角からを」応援して下さっている読者のみなさま、
ブログ継続の張り合いになります。大変お手数ですが、"1日1回"
応援の クリック を、どうぞよろしくお願い致します。
(いずれも別窓で開きます)
携帯電話、スマートフォンからご覧下さっている方は、
こちら ↓ をクリックして応援してくださいますと嬉しいです。
人気ブログランキングへ
にほんブログ村