しばらくの間、
途中で更新が停滞していたギリシャ・クレタ島旅行記の続きです。
クレタ島に滞在中のある日、
「スピナロンガ島(Spinalonga)」 という名の無人島を訪れました。
この島は1903年から1954年まで、
隔離されたハンセン病(ライ病)の患者さん達が居住していた島。
現在は観光客に公開されています。
この場所が現在観光客に知られるゆえんとなった一つの理由は、
2005年に当時無名だった英国人の作家、
ビクトリア・ヒスロップ(Victoria Hislop)がデビュー作として発表した、
の舞台となった場所である事。(詳細はこちら ↑ )
『The Island』はまたたくまにベストセラーとなり、
その後は日本を含む世界20数カ国で翻訳され、
現在でも世界中の読者から喝采されている作品なのだそうです。
島へは宿泊していたホテルからエロウンダの村へと出て、
そこから小さな観光船で約20分。
スピナロンガ島は1955年以降、
長期に渡り無人島として閉鎖されており、
観光には小型船で島の周りを遊覧するのみだったのだそうですが、
その後は観光目的で島に上陸する事が許可され、現在に至るのだそうです。
ここは16世紀のヴェネチア共和国時代の頃は半世紀もの間をその要塞、
その後はオスマントルコに占領された島。
1時間ほどで歩いて1周できてしまうこの小さな島には
長きに渡る歴史が残っているようです。
船はエロウンダの港を出ると、船はほぼ一直線にスピナロンガへ。
こちらが利用した船の船内。
この日はお天気もよく波もとても穏やかで快適な小船の旅。
エロウンダの港を出航し、約20分で島へ到着。
いよいよ島へ上陸。
こちらで入場券を購入して、観光区域へと入ります。
1583年に築かれた "CARABONANO GATE" を通り抜けて中へ。
こちらがオスマントルコ時代(18ー19世紀)に出来たマーケット跡。
そして今は廃屋となった住居跡。
この島へ移り住んだとの事ですが、
当時、不治の病を抱え世間との繋がりから遠ざけられた人々が
この地で町の基盤を作り、生活の礎を築いていた姿を思い起こさせます。
島に掲げられていた資料によれば、
患者さんたちの中には弁護士や教師なども含まれ、
彼らは島に教会も作っており、
中には居住者同士の間で婚姻関係もあったのだとか・・。
小さな教会の中へは観光客が行列を作りあふれ返っていましたが、
こちらが島内にあったその模型。
無人島だという事もあってか、島の周りの海は透けるように青く美しい!
島内はぐるっと一周すると約40分ほど。
このひときわ目立つヴェネチア時代の砦には登る事ができるようで、
実際にここに立っている人も見かけました。
1時間後に迎えに来てくれた同じ船で、エロウンダの港へと戻りました。
(チケットは最初に往復券で購入、島の入場料は別。)
船は帰りに、島の周りの海辺をぐるりと一周して下さったのですが、
違った角度からスピナロンガを眺め、そして遠ざかって行く島を見ていると、
なんだか少しノスタルジックな気分に・・。
何度もリピートして訪れる場所ではないとは思うのですが、
クレタ島に滞在したからには一見の価値有りの、
スピナロンガ島への日帰り旅行でした。
この記事は、
ギリシャ・クレタ島旅行記 5
からの続きです。
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