
(本日の写真はイメージ、本文との関連はありません)
日本ではお盆の週の休暇シーズンも終わり、
多くのみなさまが、
またいつもの日常生活に戻られた頃だと思います。
私は今年もお盆には日本に帰省は出来ず、
家族が眠る、福岡のお寺を訪れる事が出来ませんでした。
毎年夏が来て、この時期になると、
お盆にお寺にお参りに出かける事が出来な事を
ご先祖様に申し訳なく思うのですが、
海外に住んでいると、
なかなかお盆とお彼岸に焦点を合わせて帰省する事が難しく、
年に1度か2度お寺にお邪魔してお参りをさせていただき、
お布施と共に、
お寺のご住職様にご挨拶をさせていただく事で、
自分の中ではそれをご先祖の供養とさせていただいています。
お盆には家族を思い出しながら、
祈りを捧げるのが、自分のこの季節の習慣です。
8月18日は、
義父(英国人の夫の父)が生きていたとしたら、
90歳の誕生日だったのだそうです。
金曜日の朝起きてすぐに、
もしも父親が生きていたとしたら、
今日は90歳の誕生日だった・・。
と、ポツリ呟く8歳年上の夫 Banana。
そうなのね。
今の時代、90歳でお元気な方々はたくさんいるものね。
早くに亡くなられて、本当に残念だったよね・・。
と、
生きているうちに会う事が叶わなかった
生前の写真でだけ知る義父へ思いをはせ、
Banana に心を寄り添わせ、
しみじみと答える事しか出来ませんでした。
自分も両親を既に亡くしているので、
その気持ちは痛いほど理解できるのです。
けれども、日本人の自分の感覚での、
亡くなった人に対して、"命日" を重んじる文化と、
亡くなった後も "誕生日" を重視している夫を見ていると、
文化の違いを感じました。
もちろん自分だって、
亡くなった家族の誕生日になると、
今日は誕生日だなぁと、
その日の事は覚えています。
元気だった頃の家族を思い出すし、
忘れているわけではありません。
もしも今も生きていれば、
何歳だったと数える事も無くはないのですが。
英国人の Banana や、彼の理の妹、義理の姪など、
家族の様子を見ていると、
亡くなった義母の誕生日に、
「私たちは貴女を忘れない、I Love You!」
などとSNSに投稿したりして、
欧米人にとっての誕生日の大切さを
ひしひしと感じてしまいます。
夫も家族の命日を、大切に感じていない訳ではありません。
ただ、
「亡くなっている」「生きている」
いずれの場合でも、
いかに誕生日を大切に思っているかを、
17年間も一緒に過ごしていると、
日常生活においてのところどころで感じる事が
多々あります。
亡くなったお義理父さんは、
世の中のありとあらゆる事に興味を持ち、
(そういうところ、ちょっと Banana も似ています! )
Banana いわく、
日本人のお嫁さんが来たら、日本にとても関心を示し、
きっと地図を持って来て、
興味深く矢継ぎ早に、
私にいろんな質問をしただろう・・との事です。
会ってみたかったなぁと思います。
日本で自身の母の十三回忌を終えた
5月の記事でも触れましたが、
仏教とは異なり欧米では亡くなった後、
一周忌、三回忌、七回忌など、
「〇〇回忌」というような
供養をする習慣はありません。
それでも、
亡くなった日である命日を重んじる、
この世に生まれた誕生日を重んじる、
文化や習慣の違いはあれど、
故人を偲ぶ気持ちはどちらも同じなのだと感じています。
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