
今日は67回目の終戦の日。
あらためまして、
戦争で犠牲になられたすべての方々のご冥福を、
心よりお祈りいたします。
私達日本人が戦没者への祈りをこめ、
鎮魂の日として特別な意識を持ち迎えるこの8月15日ですが、
ヨーロッパの一部ではこの日を、
「VE デー」(= Victory in Europe Day)
英国や米国の一部では、
「VJ デー」(= Victory over Japan Day)
と呼び、
私が視聴する英国のテレビの番組やマスメディアでも、
日本とは異なった立場から特集が放送されたりする事もあります。
彼らの国によれば8月15日以前、
既に第二次世界大戦は終結していたという事で、
15日は日本が敗戦を認めた日という意識なのだそうで、
その国の辿った歴史と立場が変われば、
見方も考え方も異なるのであると感じてしまいます。
ところで冒頭の写真、
こちらは先日、ドイツのハンブルクを訪れた際に立ち寄った
「聖ニコライ 教会(Mahnmal St. Nikolai)」です。
ウェブサイトはこちら → Mahnmal St. Nikolai(英語・ドイツ語)
ご紹介が遅れましたが、
この記事は、美しきハンブルク 3. からの続き(最終章)です。
聖ニコライ教会は第2次世界大中、連合軍の爆撃によって破壊され、
それに伴い発生した大火災の際に大部分が消失しましたが、
一部は当時の破壊されたままの姿が今もそのまま残されています。
聖ニコライ教会はハンブルクの街の中で最も古い教会の一つで、
1195年に船員や旅行者のための礼拝堂として建てられました。
486フィート(約148メートル)の尖塔を持つ教会は、
当時では世界で最も高い、
ネオゴシック様式の教会であったのだそうです。
ハンブルクの港の近くに位置していた事もあり、
町の繁栄と貿易の活性化により、共に成長を続けた教会でしたが、
教会は1842年の戦争による大火時の発生時に焼失。
その後ハンブルク市民の寄付によって再建されました。

日本はもとより世界各地で、
様々な戦争の被害を被った建築物やその跡地を見学する度に感じる事ですが、
当時のままで焼け残った姿のこの教会を目の当たりにすると、
平和への祈りをこめる供に、
どうか同じ事がもう2度と起こりませんようにと願わずにはいられません。


戦争の爪痕が残された外観ですが、
中の部分には近代的なモダン高速エレベーターが設置され、
250フィート(約76、2メートル)の展望台まで1分とかからず到着。


展望台からはハンブルクの市街、港、アルスター川などを一望。

この教会を含めハンブルクの町が、
連合軍によって大きく破壊された当時の写真も展示されています。



写真に添えられた説明では、無惨に破壊された当時の町の様子、
そしてそこからの復興、
町の人々が一丸となり立ち上がった再建について語られ、
その中で私がとても印象に残った一説は、
こんなにも町が破壊され多くの犠牲を払いながらも、
そのすべての結果は、
最初に仕掛けた(英国への爆撃を先にした)自分たちの過ちであった・・。
と言う事をはっきりと認める一文があり、
ドイツの人々の、
自らが冒した過ちをはっきりと認める潔さと、
前向きに進んでゆく姿に一種の感動さえも覚えました。
教会の見学を終えた後、
何不自由なく毎日の日々を平和に暮らせる事のありがたさに
あらためて感謝しつつ、
この美しきハンブルクの町の歴史についても、夫と共に話し合いました。
特に英国人である夫 Banana は、
この教会を複雑な思いで見学した様子でした。
ちなみにここスイスですが、永世中立国という立場を取り、
戦争には全く無関係ではなかったものの、
自国の独立した立場を貫いて
戦争には巻き込まれないことを最大の目標としたため、
大きな被害を残さなかった事も理由なのか、
この時期が "終戦の日" であるという意識は
他の国々に比べると薄いように感じます。
世界の人々がそれぞれの思いで迎えた終戦の日。
祈りを捧げると共に、世界平和を願うばかりです。
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